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4月22日午後10時15分家族みとられ、おじいちゃんは静かに息をひきとりました。87歳でした。

私たちは山中湖でその知らせを聞きました。そしてまもなくなみだ雨が降りだしました。山中湖では警報が出るほど強く降りその中を宇都宮へと急ぎました。

おじいさんは南相馬市の原町の病院に入院していましたが、震災後避難区域となり、50人の患者さんを一人の看護婦さんが見なければならない状態になり、2日間点滴ですごし、まもなく宇都宮の病院に自衛隊によって運ばれ、さらに適切な処置ができないとの理由で市内で再び転院。

それは87歳の寝たきりのおじいさんの体にはかなり酷だったようです。ご飯をたべれなくなりました。
宇都宮の病院で約一ヶ月、一時はだいぶ持ち直したようですがその後容態が悪化、血圧が低下しゆっくりと眠るように息を引き取られたそうです。

なみだ雨は翌日も降り続きました。でも今朝はおじいちゃんを送り出すにふさわしい晴天!晴れ晴れとした気持ちでおじいちゃんのさよならの会をしました。

「最後をふるさとで迎えさせてあげたかった。」みんなが思っていたことでした。慣れぬ土地できっとさびしかったことでしょう。

おじいちゃんの喉仏は、座禅をくみ、袈裟をかけたお坊さんのようでした。

斎場のかたも、「このように完全な形で残っていたのは初めてで、取っておきたいくらい、生前のお人柄をあらわしているのですよ。」とおっしゃって、それをおばあちゃんの手で壷に収めさせてくださいました。

そして、さいごにみんなで骨壷に手を沿えさせてくれました。

おじいちゃんのさよならの会は、身内だけの、着の身着のままで何もなかったけれど、とてもあたたかい会でした。

最後に伯父は、おじいちゃんをいつか故郷のお墓に入れてあげたい、そして、こんな事態だが必ずまた米をつくると、そしてみんなが遊びにこれる家を建てるといってくれました。

「おじいさんがみんなを集めてくれたんだね。」と、shinjiさんがふいに言いました。

私も、そうだと思いました。震災後、初めてみんなの顔を見ることができたのです。みんなで力をあわせ、伯父さんの夢を必ずかなえるんだ!そうゆうことだったんだ。

その夜、山中湖はとてもきれいな星空でした。ももが、「あれがおっきいおじいちゃんの星だよ!」と教えてくれました。一番きらきら輝いていました。

伯父は最初に、原発震災の影響は少しはあったとちいさいこえでいいましたが、その先は語ろうとはしませんでした。
私も、今は静かにおじいさんを悼み、新たな希望が持たせてくれたことに、感謝したいと思います。

by hiromi


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